Bach vs Vivaldi 同時代を生きた巨匠! 

ムジカロゼッタ古楽コンサートin八ヶ岳 VOL.26
Musica Rosetta10周年記念、La Musica Collanaコラボ特別公演

「Bach vs Vivaldi 同時代を生きた巨匠!」
~バロック音楽の『交差点』で起きた出逢い~


”緻密で厳格な構成の作品を生み出したバッハ、演奏者の自由な即興性を重んじたヴィヴァルディ。相反する18世紀バロックにおける二つの極則が鋭くクロスする”
2023年5月20日(土)
16:00開場 16:30開演
茅野市民館 コンサートホール

信州にある小さな村”原村”で活動を始めたMusica Rosettaは、お陰様で今年2023年に活動10周年!

ムジカ・ロゼッタの活動は、2013年6月に八ヶ岳山麓の原村にて古楽コンサートを開催したことを皮切りに、その後多くのコンサートや音楽ワークショップ、声楽や鍵盤楽器の個人指導、また地元子どもたちの音楽教室などの啓蒙活動にも励んでまいりました。小さな村で出発した活動でしたので、どこまで続けられるのか手探りで進んでまいりましたが、多くの皆様に支えられ続け、今年2023年に活動10周年を迎えることができました。第一回公演と同じく新緑の輝く季節、Musica Rosetta第10回記念公演を、古楽オーケストラ《La Musica Collana(ラ・ムジカ・コッラーナ)》の皆さん、そしてムジカ・ロゼッタ第一回公演からの盟友丹沢広樹さんと共に豪華コラボコンサートとして、当初から私たちがモットーとし続けてきた《現代に生きる躍動感のある古楽を八ヶ岳山麓から発信》します!

 

出演:

原謡子 ソプラノ
佐々木華 フラウト・トラヴェルソ
丸山韶  バロックヴァイオリン
丹沢広樹  バロックヴァイオリン
佐々木梨花 バロックヴィオラ
島根朋史 バロックチェロ
布施砂丘彦 ヴィオローネ
杉本周介 オルガン/チェンバロ

 

演奏曲:

J.S.バッハ カンタータ第82番 「我は満ちたれり」BWV82a (第二稿1731年)
J.S.バッハ ブランデンブルグ協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050
A.ヴィヴァルディ 弦楽のための協奏曲 『田園風」 RV.151
A.ヴィヴァルディ 「調和の霊感」作品より第6番 ヴァイオリン協奏曲 イ短調 RV.356他

La Musica Collana(ラ・ムジカ・コッラーナ)
古楽オーケストラ《La Musica Collana》はヴァイオリニスト丸山韶の呼びかけによって国内外で活躍する古楽奏者たちが集い結成。プログラムには主にイタリアの器楽作品を取り上げ、協奏曲作品に焦点を当てたシリーズ【Baroque Concerto Festival】を定期的に開催している。団体の名である《Collana》はイタリア語で首飾りを意味し、バロック音楽の煌びやかな装飾、そしてメンバーの志が一つとなるように、という想いが込められている。

入場料:前売一般¥4000 前売ペア¥ 7800  学生¥2500
小・中・高校生無料 ※小学生の皆様は保護者の方と同伴でお越しください。
当日一般¥4300

お問い合わせ:
こちらのお申し込みフォームからも予約可能です
ムジカ・ロゼッタ
070-4430-0666
info@musicarosetta.com

主催:ムジカ・ロゼッタ 共催:ラ・ムジカ・コッラーナ

後援:原村教育委員会 信濃毎日新聞社 長野日報社

CD付き書籍「Selva d’amore 愛の森」12月1日出版

17世紀初頭のモノディの世界は、さまざまな愛の形を語るものでもあります。
そのような点に着目して、CD付きの書籍にしました。
CDはジュリオ・カッチーニと二人の娘フランチェスカとセッティミアの作品を取り上げ、
原謡子の歌唱を笠原雅仁さんのテオルボの通奏低音で支えた演奏を北杜市小淵沢のフィリア美術館で収録しました。
モノディの背景、歌詞のイメージと曲想を結びつけるコメントなどを杉本周介が執筆し、
それぞれの楽曲の歌詞を長尾譲氏の丁寧な訳で掲載しています。
アカデミックなものというよりは音楽や歌詞の内容を、現代人の感覚で味わえるように考えました。数々の美しい写真は富士見町在住の写真家藤井春日さんによるものです。

定価¥2970(税込)
郵送希望の場合は送料¥370

郵送希望の方は下記のフォームより
お名前、郵便番号、ご住所、メールアドレス、
お電話番号、ご希望冊数、ご希望のお支払い方法(振込かカード決済)をご記入ください。

公演「新しい音楽のその後」

ムジカ・ロゼッタ古楽コンサートin八ヶ岳 Vol.24

愛の喜び 恋の悲しみ
「新しい音楽」のその後
~ジュリオ・カッチーニ、その娘たちと影響を受けた音楽家たち~

StudioR (定員30名様)(長野県諏訪郡原村原村 八ヶ岳自然文化園正門前)
第一公演:   2022年7月30日(土)13:00開場 13:30開演
第二公演:2022年7月31日(日)15:30開場 16:00開演

16世紀末のフィレンツェで生み出され、音楽史的な転換点になったモノディ。その立役者カッチーニを起点にその後の作曲家達がそのドラマティックな表現方法にのめり込んでいきました。カッチーニの娘たちもその中に含まれ、優れた作品を残しています。愛を語る歌の数々を通じて人間の感情表現に果敢な挑戦を続けた17世紀前半のイタリアの作曲家たちの熱い聲、爽やかな夏の高原で耳を傾けてはいかがでしょうか。17世紀イタリア音楽のスペシャリストでリュート奏者、歌手の笠原雅仁さんをお迎えして、お届けします。

原謡子 (ソプラノ)
笠原 雅仁 (バリトン/テオルボ)
杉本周介 (チェンバロ)

前売一般¥3500 当日¥3800

ジュリオ・カッチーニ
Giulio Caccini (1551-1618)
「新しい音楽とそれを書き記す新しい方法」(1614年)より
その熱きため息に A quei sospir ardenti
ああ、戻りきたれ Torna, deh torna

フランチェスカ・カッチーニ
Francesca Caccini (1587-1640)
「音楽 第1巻」(1618年)より
ここで独りにして Lasciatemi qui solo

フランチェスコ・カヴァッリ (1602-1676)
Francesco Cavalli
歌劇「アポロとダフネの愛」(1640年)より
アポロの嘆き Lamento d’Apollo

ご予約・お問い合わせ:ムジカ・ロゼッタ 070-4430-0666

ムジカロゼッタ

info@musicarosetta.com

新型コロナウイルス感染予防対策へのご協力のお願い
・当日発熱等の風邪の症状を自覚される方、または後援2週間以内に新型コロナウィルス感染症に感染した方と濃厚接触された方は入場をご遠慮ください。
・開場へのご入場の際はマスクの着用をお願い申し上げます。検温及び手指の消毒にご協力ください。
・公演直前の感染状況によりやむをえず公演を中止する場合がございます。

omote
ura

公演「個の表現への解放」

弦と笛と聲による古楽コンサート
「個の表現への解放」
16世紀から17世紀 ポリフォニーからコンチェルターテへ

【開催日時】2022年6月25日(土)13:30開場 14:00開演

【開催場所】茅野市民館 コンサートホール

【出演】丹沢広樹(バロックヴァイオリン  細岡ゆき(リコーダー)
島根朋史(ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロックチェロ)    
原謡子(ソプラノ)  金子浩(リュート)
 杉本周介(オルガン、アルピコルド)

なにやらすごいタイトルですが、ムジカロゼッタの今年1番の大きなコンサートになります。15世紀から16世紀末の音楽史におけるルネサンス音楽は、音楽の数学的な調和を重要視していました。そのためルネサンス・ポリフォニーに代表される多声音楽はこの上ない美しさを持っています。ジョスカン・デ・プレのフランドル楽派の伝統を受け継いだシプリアーノ・デ・ローレやパレストリーナといった巨匠たちの音楽の美しさはこの世のものとは思えないほど美しいものです。

後期ルネサンス期にはこうしたポリフォニーの中でもそれぞれの声部を歌う歌手はメロディーに音を任意に加えて演奏していました。元の旋律に即興を加えて華やかに演奏することはスリリングな楽しみでもあります。即興の発展は名人芸で魅せる場としても発展しました。ルネサンス音楽の比較的緩やかな旋律線の音符を細かく分割してたくさんの音符で装飾することによって、即興的で変化のある音楽作りをしようとした試みの痕跡を16世紀前半から見ることができます。1535年シルベストロ・ガナッシによる史料「フォンテガーラ」からはリコーダーの演奏法に並んでこの装飾法についても論じられており、これに続いてこの分割による装飾法(ディミニューション)に関する書物は1580年頃から特に多く出版されました。

アンサンブルの中である一人が華麗で多彩なディミニューションを繰り広げ、名人芸を披露することが浸透するにつれ、アンサンブルとしての調和よりも、よりソリストを前面に出した音楽作りが求められるようになります。

1600年頃にフィレンツェで演劇性の高いモノディの運動が成立すると、その流れは器楽の世界にも決定的な影響を及ぼします。通奏低音の台頭です。通奏低音はバスの音を音符で書き記し、旋律とバスの間を満たす和音は通奏低音奏者が適切かつ任意に選択しながら演奏します。この通奏低音の柔軟性がソロ声部に大きな自由度を与えることになります。これを礎としてイタリアではコンチェルターテと呼ばれる単独もしくは複数の声部の独奏(独唱)群と通奏低音で構成された楽曲が数多く作られました。この新しい演奏形態により、ときに過激とも言えるほど扇動的な音楽が花火のように打ち上げられていったのです。

このルネサンスからバロックにかけて、新しい試みを打ち出していった作曲家たちの熱い思いと試行錯誤を追っていくことがこの公演の狙いです。スリリングな公演となることでしょう。ムジカ・ロゼッタコンサートでお馴染みの丹沢広樹、金子浩、島根朋史に加え、細岡ゆきさんを加えたロゼッタのオールスターで熱くお届けします。

【入場料等】前売一般¥3500 前売ペア¥6500 高校生以下¥1500 (当日各¥300増し)

【説明】数学的均整と宇宙的調和を求めたルネサンス音楽、誇張された対比により劇的な感情の表出を求めたバロック音楽。二つの世紀を分断するこの深い谷に果敢に橋を架けていった作曲家たちの求めた音とは?音楽史上最も過激な転換点の一つに焦点を当てます。

 

暗黒に差す静謐な光 17世紀ドイツの宗教的コンチェルターテ集

文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業

暗黒に差す静謐な光
17世紀ドイツの宗教的コンチェルターテ集
12月26日(日) 14:00開場 14:30開演
茅野市民館 コンサートホール

原謡子 ソプラノ   品川聖  ヴィオラ・ダ・ガンバ
金子浩 テオルボ/バロックリュート  杉本周介オルガン/チェンバロ
前売一般¥3500 前売ペア¥6500
当日¥3800 高校生以下¥1500

この公演も11月のリュートに引き続き落ち着いた内容です。ちょっと歴史の教科書を開くと16世紀はマルチン・ルターが宗教改革を牽引し、カトリックとは分派したプロテスタントが浸透し始めます。17世紀にはこの勢力とカトリック側の勢力が対立し、宗教戦争が始まります。そこに利権を得ようとした他の国々も参戦し、泥沼化してしまいます。30年戦争と言われています。 “暗黒に差す静謐な光 17世紀ドイツの宗教的コンチェルターテ集” の続きを読む

秋の憂いと優しさ リュート歌曲コンサート

晩秋の憂いと優しさ(其の二)
ジョン・ダウランド リュート歌曲集
2021年11月27日(土) 13:30開場  14:00開演
studioR (原村自然文化園正門前)

原謡子  ソプラノ
金子浩  ルネサンス・リュート
杉本周介 イタリアン・ヴァージナル (賛助出演)

リュート伴奏による歌曲の王道とも言える内容です。ジョン・ダウランドは1563年イギリス生まれでエリザベス朝後期を中心に活躍したリュート奏者でした。残されている作品のほとんどはリュートの独奏曲やリュート伴奏の声楽作品であり、 “秋の憂いと優しさ リュート歌曲コンサート” の続きを読む

今後のイベント予定 リュート歌曲ワークショップ その1

リュート伴奏のモノディのワークショップ

今年のロゼッタはモノディづいてます(笑)7月22日~25日(予定)にリュートの金子浩さんを招いて歌曲のワークショップやコンサートを計画して います。今回はモノディ様式の重要な作曲家ジュリオ・カッチーニが1601年に出版した「新しい音楽」、1614年「新しい音楽とそれを記述する新しい方法」をテーマに、歌の愛好家の皆さんを対象にリュートの伴奏で公開レッスンなどを二日間にわたって行う予定です。期間中に原謡子の歌唱と金子さんによるカッチーニの作品を集めたコンサートを企画しています。ワークショップはリュート(テオルボ、アーチリュート)による通奏低音で経験豊富な金子さんの伴奏と歌唱指導を受けられる受講枠の他に、それらのレッスンを聴講することもできるようにします(感染症の状況により検討)。

ワークショップに先立って6月初めあたりからこれらの作品の歴史的立ち位置や、カッチーニ自身が書いた詳細な序文から適切な歌唱法を学ぶ会を3回程度のシリーズにわたって行います。詩行のアクセントの位置に対応した通奏低音との関係などといった理論的な読み解き方や当時の活版印刷の楽譜などにも触れるなど、全体像を掴むことがねらいです。ある程度楽譜が読める方なら理解できるような解説を考えていますので、歌う歌わないに関わらず初期バロックの歌に少しでもご興味のある方はこの「学ぶ会」にもご参加いただけたらと思います。スケジュールはお問い合わせいただいた皆さんのご都合をお伺いしつつ決定します。歌唱については原謡子の歌唱レッスンも受け付けています。歌唱のレベル、経験は問いません。味わい深い初期バロックの歌唱の世界を垣間見てみませんか?ぜひお気軽にお問い合わせください。

バロック音楽の愉しみ ~ヘンデル、美しき自然への賛歌~

第3回ニシザワいなっせホール 古楽コンサート

バロック音楽の楽しみ ~ヘンデル、美しき自然への賛歌~

6月20日(日) ニシザワいなっせホール (伊那市)

ソプラノ:熊崎志津子、浦野純子、吉澤真智子
バロックヴァイオリン:丹沢宏樹
バロックチェロ:島根朋史
リュート:金子浩
チェンバロ:杉本周介

一般前売:¥3000 当日:¥3500  高校生以下:¥1000

お問い合わせ:090-8849-2147
ムジカ・アンティーカ・伊那(主催)

長野県の南に伊那から駒ヶ根に広がる伊那谷と呼ばれる地域があります。そこにお住まいのお二人の歌手の方と数年前にお知り合いになりました。ペルゴレージのスターバトマーテルを上演したいというご相談を受けたことがきっかけですが、それ依頼毎年古楽にチャレンジしたコンサートを開いてくださっています。昨年は感染症の拡大で中止となってしまい、叶えられなかったプログラムを今年は上演できそうです。オラトリオ「メサイア」で有名なヘンデルにスポットを当てた内容です。

コンサートの前半は3名の歌手の方が順番にヘンデルが晩年に作曲したドイツ語の詩による自然賛歌を演奏します。ヘンデルがドイツ語に曲をつけたのはこのドイツアリアとブロッケス受難曲くらいかもしれません。後半はヘンデルが若い頃に大量に書いたイタリアン・カンタータから独唱と二重唱のカンタータを取り上げます。歌手を支える器楽隊は、前日6月19日のロゼッタ公演のメンバーです。

ロゼッタの森から Vol.10

木々が芽吹き始めました。若葉が放つ水彩絵具を滲ませたようななんとも言えない色彩に胸をすかされる想いです。それにしても桜の開花にしても、今年は一昔前よりも2週間ほど早い春の訪れを感じます。写真は4月12日の高島城(諏訪市)の公園です。

最近はそこそこに慌ただしい毎日になっています。感染症が落ち着かない状況が続く中、県を跨いでの活動はまだありませんが、地元での演奏の依頼がぽつぽつとあります。二月には「町ゼミ」という原村の事業者がちょっとした知識を近隣の方に提供する企画にムジカロゼッタとして昨年に引き続き参加しました。前回は鍵盤楽器を一通り説明して、実際に触れてもらうというものでしたが、今年はグッと専門性を持たせて、「青年バッハの作曲法」と題して、バロックの作曲家がどんなことを頼りに作曲していたか、という部分のほんの一例を紹介しました。

作曲をするということを思い浮かべた時、皆さんはどんなことを想像するでしょうか?半数以上の人は何処かからイマジネーションが降ってきて、それを音符にしていくということを考えるようです。確かにベートーヴェンとかは自分の人生観と音楽がかなり一致していると言えるので、古典派の後期以降の音楽はそれに近い部分があると思います。しかし、バロック時代は依頼を受けて作曲することがほとんどでしたので、曲の用途や求められる雰囲気が作曲に着手する段階で概ね方向性が決まっていたと言えるでしょう。もちろん親しかった人への追悼曲など、個人的な体験や感情の表現としての作曲の例もあります。私が町ゼミで取り上げたのは17世紀ドイツの音楽の考え方が若い頃のバッハの音楽作りに与えていた部分です。

バロック音楽は言語と密接に結びついています。曲全体を一つの作文と考えると、そこには文法があり、雰囲気を醸し出す文体があり、使われるべき単語やその言い回しがあり、など伝達されるべき情報や情緒を的確に表現するための作文のテクニックというものがあります。作曲においては調性がその題目の方向性を決定しますし、曲のドラマを展開する和声は文法的な法則があります。立体的な文脈を作るのには効果的な対位法(プラスされたもう一つのメロディの存在やメロディーの模倣など)も欠かせません。

そして今回の町ゼミで取り上げたのは単語とその言い回しとも言える修辞学でした。バロック時代には修辞学が音楽に盛んに取り入れられていました。それはある音の塊がなんらかの意味を象徴するというものです。曲の出始めのメロディーが高い音に向かっていく場合、それは『外向性」「強さ」「喜び」「生命」とかを表す音型ですし、逆に下行していた場合、「内向性」「弱さ」「下降」「否定」「死」「絶望」などを表します。不協和音程の跳躍は「苦難」や「苦しみ」、半音階の進行は「苦難」「悲しみ」など、音の形によって意味が定義されていました。もちろん当時の理論家の間でも多少の解釈の違いはありますが、概ねこうした音の形は声楽曲の歌詞と照らし合わせて見た時にかなりの精度で信憑性があることがわかります。

バッハもこうした修辞学に非常に長けていて、かなり若い頃の作品にも積極的に修辞学を曲に盛り込んでいったことが窺えます。少々マニアックですが、作品の言わんとしていることを理解する手がかりとして、この分野はとても興味深い世界です。町ゼミではこの音楽修辞学というものの存在を、実例を弾きながら紹介させていただきました。

当時の作曲というのは往々にしてシステマティックな職人の世界でもあり、作曲家たちは内容を正確に伝えるための共通言語や独自の「型」、「技術」を持っていたのだと考えられます。日本の茶道とか武道においても「型」「作法」というものが大切にされている印象があります。それは当事者の気分とは無関係に決められたことを作法として行う必要性を説いているのではないかと私は勝手に思っています。そしてその「型」の意図にこちらの心が寄っていき、その中に入り込むというのがおそらく理想なのではないかと思います。音楽もまた内容を正確に聞く人に伝えるための冷静な技の「道」であり、生涯修行を積み続ける世界なのだと思っています。