晩秋の憂いと優しさ(其の二)
ジョン・ダウランド リュート歌曲集
2021年11月27日(土) 13:30開場 14:00開演
studioR (原村自然文化園正門前)
原謡子 ソプラノ
金子浩 ルネサンス・リュート
杉本周介 イタリアン・ヴァージナル (賛助出演)
リュート伴奏による歌曲の王道とも言える内容です。ジョン・ダウランドは1563年イギリス生まれでエリザベス朝後期を中心に活躍したリュート奏者でした。残されている作品のほとんどはリュートの独奏曲やリュート伴奏の声楽作品であり、そのほかに有名な「ラクリメまたは7つの涙」というヴィオラ・ダ・ガンバのコンソート曲集があります。ダウランドはヒットチューンメーカーでもあり、特に有名な「流れよ我が涙〜Flow my tears」という曲には当時ヨーロッパで広く知られていました。同時代のウィリアム・バードやジャイルズ・ファーナビーといった英国の作曲家のみならずヤコブ・ファン・エイクやスウェーリンクといったオランダの作曲家もこの曲の編曲を残しています。
ダウランドの曲は憂鬱な内容のものが多く含まれています。「僕は見たあの人が泣くのを」や「悲しみよとどまれ」などの歌の題名からして陰鬱とした内容ですが、これは当時のイギリスの人々がメランコリーな雰囲気を好んでいた背景があるようです。ダウランド自身は自分のサインに「涙のダウランド」などと書いたり、「いつも悲しむダウランド」と題した曲も残しています。ダウランド自身が実際にメランコリックな人だったのかどうかは諸説があります。「憂鬱な気分」の表現を好んだイギリスの当時の風潮に合わせて表向きのキャラクターを作っていた可能性もあるようです。
伝記を読むとダウランドはあまり世渡り上手ではなかったように思います。若い頃から女王エリザベス一世の王室リュート奏者になることが念願だったのですが、うまくいかずヨーロッパを遍歴したのち、1598年に30代半ばでデンマークの王室にリュート奏者としての地位を得ました。その後も作品を出版したりしながら英国王室へのアプローチを重ねて念願の英国王室リュート奏者になれたのは1612年、ダウランドが49歳の時でした。イングランド国教会を推進するイギリスでは、宗教上の問題はとても大きかったようです。ダウランドは王室に音楽家として就職したかったのに、パリでカトリックに改宗してしまったり、イタリアでは英国女王の暗殺計画にうっかり巻き込まれそうになったりと、前半生では反政権的な行動もあったことから、それが理由で王室リュート奏者の地位を得るのに時間がかかってしまったのかもしれません。
原謡子と金子浩さんのデュオシリーズも回数を重ねるたびに深みが出てきました。リュートソングは素朴な歌い方が似合います。原謡子の素直な歌声と金子さんの弾く7コースの小ぶりなルネサンスリュートの温かい響きは、きっと晩秋の憂いと優しさに満ちた八ヶ岳の風景に溶け込んでいくような気がします。