移ろいゆく色彩

今週の動画です。タンポポを使った草木染めの様子を少しお伝えしています。曲は新作で、studioRのピアノで弾いています。

RicercareXVI


 

ジュリオ・ダ・モデーナのリチェルカーレ

モデーナは16世紀前半にヴェネツィアで活躍した鍵盤楽器奏者でした。
1540年頃に出版されたウィラールトという作曲家が出版した
「ムジカノーヴァ」という曲集にモデーナの作品が残っています。
私が高校生の頃に手に入れた当時としては貴重なCD「愉びの音楽」に
含められていたモデーナの数曲のリチェルカーレはどれも簡素でありながら味わい深く、
今でも私のお気に入りです。イタリアの音楽なのにどこか懐かしい響きがするのが不思議です。
こうした感覚はこの時代のスペインの音楽にも同様なことが言えます。

隣町にお住いの鍵盤楽器製作者小渕晶男氏が製作した
1540年頃の作者不詳の楽器に基づくクラヴィコードは、
この時代の音楽を演奏するのに最もふさわしく、
とつとつとした響きがどことなく和の世界にも通じる感じがします。
このクラヴィコードは音の減衰がとても早いので、
耳は絶えず静寂へと引っ張られていきます。
静寂こそ最も多くを語るのだと思います。
ひょっとしたら沈黙を聴くために音を出しているのかもしれません。

写真は「稗の底」という16世紀頃の村で、江戸時代に廃村になった集落の史跡です。
信玄の棒道沿いにあり、一説によれば武田信玄の頃にここは軍事的な意味で作られた
村だったとも言われています。ただ、標高があまりにも高かったので
農作は難を極め17世紀には人々はここを去ってしまいます。
あちこちに点在する祠が当時の面影を今に伝えています。

人々にとっては忘れられた場所でも、その場所はそこでの人々の営みを
見つめた記憶が残されているに違いありません。
「稗の底」を尋ねると、静けさの向こうに森の記憶が
語りかけてくるような気がします。

春の気配

午後から用事で教会へ。

まるやち湖は氷に覆われているものの、池の縁は透明な水が空を鏡のように映し出す。

落葉松が柔らかい影を森の小径に描く。昨秋の記憶が刻まれた落葉の間からは今にも緑の草が顔を出しそう。

小川のせせらぎは輝き、礼拝堂の祭壇にも昼下がりの陽光が滲む。

高原にも確かに春が来ている事に気がついた。

img_2640img_2639img_2638img_2635